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イタリアの観光情報 ― ミラノ周辺の修道院
 



ミラノ周辺の修道院

教会に関していろいろと書きましたので、修道院についても少し書いておきたいと思います。修道院は、修道士の生活する建物と教会が付属しています。中には、修道院とは言うものの、今では教会部分しか残っていないものもあります。教会部分については、上記にもとりあげたパヴィア修道院キアラヴァッレ修道院が印象に残っていますが、ここでは、修道士の生活部分を含む修道院全体について書きたいと思います。但し、イタリアではカトリック教会の修道院に限られています。

 

イタリアにおける修道院とは

修道院とは、キリストの精神に倣って祈りと労働にすべてを捧げて修道士が共同生活を送るところです。但し、長い歴史の中にはダヴィンチコードに出てくるシオン修道会(シオン騎士団とも言う)やテンプル騎士団修道会のように修道院は秘密結社としての騎士の養成所となり、他国(原則はキリスト教に敵対している国ですがそうでないこともありました)を攻めることを目的としていたところもあります。有名な騎士団には、聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団等もありました。聖ヨハネ騎士団は、古くはロードス島を支配し、オスマン帝国に追い出されてマルタ島支配に移り、そこを追い出された今もなお、マルタ騎士団としてローマに本部を持ち、独立国を自認しています。

逆に、11世紀に、原始キリスト教の教えに戻り清貧を理想に掲げて、下層平民レベルから発生した“ウリミアート”と呼ばれた宗教運動があります。12世紀にはローマ教皇の加護の下に修道会を形成していくつかの修道院を残しましたが、16世紀に抑圧されて消滅してしまいました。この頃のカトリックにとって、清貧はあまり都合の良いものではなかったのです。従って、残された修道院は、今や、ベネディクト会等の他の会派によって引き継がれています。でも、この清貧こそが修道院の原点であるように感じます。ウリミアートの修道院だったところとして、ウリミアート発祥の地であるアレッサンドリアにあるサン・ジョヴァンニ・デル・カプッチョ修道院や直ぐ近くにあるヴィボルドーネ修道院があります。

 

現存する修道院

今では、もっと宗教的な意味合いが強くなり神への祈りに専念する修道会、その地域の生産性の向上及び社会奉仕に寄与する修道会、福祉設備、病院や学校を経営する修道会等、その目的は多岐に及んでいます。修道院にはいくつかの会派がありますが、カトリックでは、ベネディクト会、フランチェスコ会、シトー会(トラピスト修道院は厳律シトー会)、カルトゥジオ会、ドミニコ会、アウグスティノ会、学校経営等で有名なのは、布教活動で名門となったイエズス会(上智大学)を初めとして、サレジオ会(サレジオ学院)、ラサール会(ラサール学園)、聖心会(聖心女子大)が主なものです。他にも、有名な修道会として、テンプル騎士団修道会はまだ現存していてその修道院があります。あのシオン修道会はもうなくなったと言われていますが、秘密結社なので地下に埋もれているかもしれない為、ここでは不明としておきましょう。もちろん、ウリミアートの修道院も現存しません。

日本で有名な、函館と大分にもあるトラピスト修道院は(厳律)シトー会の修道院です。ミラノ近郊の修道院では、キアラヴァッレ修道院モリモンド修道院がシトー会、ヴィボルドーネ修道院がベネディクト会、パヴィアの修道院がカルトゥジオ会となっています。ミラノにもカルトゥジオ会のガレニャーノ修道院があります。14世紀にミラノの城壁から遠いところに建てられたのですが、今や、ミラノ郊外のベッドタウンの中に飲み込まれて当時の趣は見ることが出来ません。

コモ湖周辺等の湖水地方や人里はなれた修道院はベネディクト会が多いようです。ベネディクト会の修道院の方針は、その標語にもあるとおり、「祈り、且つ働け」ですので、田舎で自らの労働で生活することを目差していたのです。ベネディクト会だけではなく、それぞれの会派には、厳律な取決めがあり、それによってどこに修道院を建てるのかも決められているのでしょうが、そこまでは良くわかりません。また、今や、会派によって修道院の構造が変わるようなこともないと思いますので、あまり気にしてはいません。

 

田舎の修道院の生産品

修道院は、最後の晩餐で有名なミラノのサンタ・マリア・デッラ・グラッツェ教会のドミニコ修道院のように街中にもありますが、興味を惹くのは、ベネディクト会の修道院のように田舎にぽつんとある修道院です。これらの修道院のほとんどが、修道院が率先して労働することで、その土地の住民が潤い反映していくことの大きな力となっています。今でも、修道院で作ったものを売っているので労働を続けているところが多いと思われます。今まで訪ねた修道院の中では、シトー会ですがキアラヴァッレ修道院の売店が一番大きなものでした。内容も豊富で、チーズやサラミ、蜂蜜やクッキー、リキュール、香水、石鹸、クッキーといろいろなものがありました。函館のトラピスト修道院でも乳製品とクッキーが有名です。昔は、修道院で薬草を育てて薬も作っていたようですが、最近は法律で薬を作って売ることは出来ないようです。その代わりにハーブやアロマが売られています。フィレンツェのサンタ・マリア・ノッヴェーラ薬局が有名ですが、ここも、13世紀にはドミニコ会の修道院であり、修道士が薬草を栽培して調合していたのが始まりです。この用に修道院で生産しているものを販売している修道院は、上記のキアラヴァッレ修道院の他に、パヴィア修道院、コモ湖の畔に建つピオナ修道院等があります。

 

人里はなれた修道院

山の上等の人里はなれた僻地にある修道院も興味深いものです。今でも文明社会とは一線をおき、ひそかに不便な修道院生活を強いている修道士には神秘的なものを感じます。日本の山寺や東南アジアの田舎にあるお寺と同じです。要するに、修道士は修行僧のようなものです。これらの僻地にある修道院はそれぞれに歴史があり、従って、建物にも風格があります。また、観光で訪ねるにしても簡単に行けるところではないので、長い距離を歩いた後にそこに着き修道院の建物を見たときの感動は、建物と周りの景観を何倍にも増幅させてしまいます。また、そこで暮らす修道士を見かけると、その容貌が昔と全く変わっていないので、更に感動が加わります。信仰心を目覚めさせてくれるかもしれません。

 

湖水地方やアルプスの麓に、このような容易に行けそうにない山奥に建てられた修道院がいくつかあります。コモ湖の南にあるチヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院(ベネディクト会)やコモ湖沿岸であるオッスッチョのベネディット修道院(名前の通りベネディクト会)もその部類の修道院です。また、トリノの東40キロにあるサクラ・ディ・サンミケーレ修道院(もともとベネディクト会の修道院であったが今はロスメニアン)も有名です。今でも世俗から隔離されたこれらの修道院を訪ねるには、より綿密な計画と一大決心が必要です。長距離の山歩きには、もちろん、それなりの準備も必要です。でも、そうまでしても訪ねてみるだけの価値はあると思います。これらの人里離れた修道院は1012世紀に建てられたものが多くロマネスク建築様式のシンプルな建物で、如何にも修道院らしく、周りの緑(秋は枯葉色で冬は白です)の山々や青い湖とマッチしています。

 

人里離れた修道院であっても、内部には装飾があります。ロマネスク建築の古い建物ですのでシンプルなフレスコ画が多いのですが、シンプルですが非常に印象的なものです。1012世紀は、今よりももっと辺鄙な環境であったであろうことは疑う余地はないのですが、どうしてこんなところを選んだのか、こんなところにどうやって来たのか、どうやって修道院を建てたのか、どうやって長い期間修道院生活を続けられたのか、文明人には考えも及びません。これらの修道院の中には、あまりにも僻地にあるために、今やほとんど使われずに廃墟となっているもの(ベネディット修道院)があります。最近になってその歴史的な価値が再評価されて、復元作業を始めたところもありますが、あまりにも僻地であるために作業も滞りがちなところが多いようです。

 

修道院の装飾

人里離れた修道院にも装飾が施されているのですから、都会にある修道院はもちろんのこと田舎の修道院にも、内部の装飾はすばらしいものがあります。何と言っても、一番なのは、パヴィアの修道院です。ここは別格かもしれません。ここには、フレスコ画だけでなく、絵画や彫刻であふれています。

 

田舎の修道院では、やはり、フレスコ画が主力です。田舎にあるだけに維持が大変で、完全なままで残っているものはほとんどありませんが、そこが何ともいえない趣を感じるところです。フレスコ画は、教会部分はもちろんここと、回廊でも見ることが出来ます。回廊にあるフレスコ画には、修道士が働いているスケッチのようなものもあります。決して、芸術性があるフレスコ画ではありませんが、修道院の建立当時の様子が描かれているものがあり、興味をひきつけられます。

 

街中の修道院には、有名なフレスコ画も見ることが出来ます。一番有名なのは、何と言っても、サンタ・マリア・デッラ・グラッツェ教会のドミニコ修道院の食堂にあるダ・ヴィンチの“最後の晩餐”です。また、個人的に好きなのですが、パルマのサン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ修道院のコレッジョのフレスコ画も有名です。

 

修道院の中庭

修道院と言えば、中庭です。修道院には教会があり、教会から繋がっている回廊に出ると、回廊に囲まれた中庭があります。この空間は修道士たちの生活のための共用スペースであり、回廊は、図書室、礼拝堂、厨房・食堂に通じています。窓が少なく重苦しい厚い壁に囲まれた薄暗い教会から、回廊に出て明るくきれいな(春は若葉の香り、夏は光り輝く、秋は枯葉舞う、冬は雪で真っ白な)中庭を見たときに修道士たちは解放された気分になることは想像に難くありません。中庭もその役目を果たすべく、いつもきれいに整備されていたのだと思います。中世のヨーロッパの家はどこも室内は暗いので、修道士たちは図書室から本を持ち出し、中庭のベンチで本を読んでいたのでしょうか。そんな想像をし、きれいな中庭や内部装飾を見ながら回廊をゆっくりと歩くのが、修道院に行く楽しみの一つでもあります。本当に心を癒してくれます。

 

教会や修道院の施設も中庭から見ると、正面から見るのとは違った外観と雰囲気を見ることが出来ます。また、そこに修道士の生活の様子を垣間見ることが出来ます。ここが、教会と修道院の違いではないでしょうか。逆に、中庭がきれいではない修道院は、いくら外観がきれいな修道院でも悪い印象しか残らないと思います。中庭の周りの回廊は、Corridor(イタリア語ではCorridoio)は使わずに、英語でCloister、イタリア語でChiostro(キオストロ)といいますが、この単語は時に修道院そのもの(又は中庭そのもの)をさすときにも使われます。如何に、中庭が修道院にとって象徴的で重要な場所であるかを証明している言葉です。

 

中庭のきれいな修道院としては、パヴィア修道院キアラヴァッレ修道院ピオナ修道院が特に印象に残っています。

 


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