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イタリア観光を楽しむための知識


もう一つのイタリア



 

ここまでローマ時代とキリスト教の話をしてきましたが、この2つがイタリアの歴史の上で最重要項目ですので、イタリア人とイタリアの文化を理解する上で一番重要なことは間違いありません。また、イタリアの観光資源を見て歩く上でも、この2つと簡単なイタリアの歴史を理解していると、より興味を持って観光できることも間違いありません。イタリアにある歴史的な建物の多くは、宮殿、教会、中世の城塞にローマ時代の遺跡ですから、ここまでは、これだけ理解していれば問題なかったのですが、いろいろと見て回っていますと、それだけでは理解できないようなものがあることに気がつきました。そのことに気がついたのは、世界遺産にも登録されているクリスピ・ダッダを訪ねたときです。何故、クリスピ・ダッダがイタリアにあるのか、ローマ帝国、キリスト教と中世のイタリアの歴史だけではなかなか理解が出来ません。従って、もう少しだけ、イタリアの歴史を掘り下げて行かないといけないものがあるのです。そのことを話したいと思います。


歴史の奥深さ

まず、イタリアの歴史は、長くて奥が深いものであることを認識する必要があると思います。イタリアの歴史には、先住民であるリグーリア人やエトルリア人から始まって、ケルト人、ローマ人、ギリシャ人、ゲルマン人、ゴート人、ロンバルド人等々、いろいろな種族が入れ替わり立ち代り出てきますが、イタリアから出て行った種族は、ケルト人くらいで、他は、戦争はしていますが、その前にいた種族と交じり合ってキリスト教徒になりイタリアに定住しています。他の国のように単一民族を守って独立を目差すようなことはありませんでした。それよりも、都市単位での独立維持又は他都市を支配する為の戦争をしています。決して種族単位ではありません。

従って、種族が増えてもイタリアの歴史は絶えることなく代々受け継がれています。これは、偉大なローマ人のローマ帝国をすべての種族が認めていて、我こそはローマ人の末裔であると主張していたからだと考えます。従って、今となっては、もともとは種族が違ったのかもしれませんが、ローマ人の末裔を語るすべての種族にとって一つの歴史になってしまいました。今や同じ歴史を共有している一つのイタリア民族になっていると考えることが出来ます。要するに、イタリアには民族意識もイタリア人としての国民意識もないのです。

イタリアはそれぞれの街に中心となる教会があり、その鐘(カンパニーレ)の音が届く範囲での帰属意識がとても強いといわれています。このイタリア独特の郷土愛意識はカンパニリズモと呼ばれていて、その土地で生まれて育った人は、その人が過去にどの民族だったであろうが、その土地を愛して、その土地を誇りと思って暮しているのです。例え、その土地を出て、他の土地で出稼ぎを使用とも、いつかは自分が生まれ育った土地に戻ることを考えているのです。何十年も前の日本でも、「ふるさと」を思う気持ちがありましたが、いつの間にかどこかに行ってしまいました。でも、イタリアでは、数千年前から現在に至るまで変わっていません。この原点は、家族を愛することにあるのではないでしょうか。家族、親戚、隣人への愛が基本です。それが、生まれ育った土地への愛となって現れるのです。これこそ、イタリアの文化なのです。


余談ですが、イタリアの大きな企業の本社は、ローマやミラノにあるわけではありません。企業は、その企業が発生した土地の物なのです。従って、その土地の人口が少なかろうが、本社はその土地にあるのです。従って、日本のように首都に集中するようなことにはなりません。


歴史と文化

その国の文化はその国の歴史によって育まれていくものです。同じ歴史を持っているイタリア民族は自動的に同じ文化を持つことになります。それも、長く奥深い歴史によって育まれた文化です。この文化を理解する事で、ローマ時代とキリスト教だけで説明できないイタリアのもう一つの面を理解できると考えます。文化とは、絵画や音楽等の芸術や食べ物だけではなく、物事の考え方の根本に関わるものです。即ち、歴史の中からイタリア人の物事に対する考え方がどのようになったのかが理解できます。イタリア人は楽天的(陽気でいい加減)であるとよく言われますが、それは表面的なものであって、実は、長く奥深い歴史に育まれた物事の考え方に基づいたものであると思います。


楽天的と言われるイタリア人の考え方の根本のひとつは、長い歴史がくれた“愛の大切さ”ではないでしょうか。特に、前にも述べましたように、家族・親族への愛は非常に強いものがあります。又、同郷の人たちの結束が固いのも“愛”による一つ表現だと思います。次にあるものは、人間が生きるために必要な“衣食住(生活)の大切さ”です。イタリア人はこのことを歴史から身をもって学んでいます。そして三つめが、生活が安定した上で人間を豊かにするもの、即ち、絵画・建築や装飾・音楽等の芸術であり、スポーツであり、遊びであり、ファッション等の“楽しみの大切さ”です。これがあって、人生はより充実したものになり、生きがいを感じて一生を満足して過ごせるのです。この三つの大切なものはポンペイの遺跡によって明らかにされたように、ローマ時代から変わりないもので、正に歴史が与えてくれたものです。従って、今でもイタリア人の考え方の根本、即ち、文化として息づいているのです。ですから、イタリア人は、単純に、陽気でいい加減になったわけでなく、歴史から生じた文化がこれらを与えてくれた奥深いものなのです。


La vita è bella

いきなりイタリア語のタイトルになりましたが、このタイトルの意味は“Life is beautiful”です。そうです。数年前のアカデミー賞で賞をたくさん取ったあの有名な映画のタイトルです。これほど感動を与えてくれる映画はめったにないと感じたほどのすばらしい映画です。何故、いきなり出てきたのかは、これまでに書いてきたイタリア人の文化が如実に現れている映画だと感じたからです。こんなに胸が詰まるような内容の映画に、何故、このようなタイトルがついているのかを不思議に思ったのですが、映画を見た後には、なるほどと思いました。

イタリア人にとって見れば、どんな状況にあっても人生は美しくなければいけないのです。人生を美しくするために、どんな状況でも家族愛をつらぬき、その状況に応じた“楽しみ”を持ち(持たせ)、限られた条件のもとでの人生を充実したものとするのです。そのためには、自分の命を犠牲にしても悔いはないのです。この映画は、イタリア人はどんな状況においても、今まで培ってきた文化を忘れないことを表現しているのだと思います。もちろん、このことは世界中の人が理解できることですから、世界中の人に感動を与えられる映画になっているのだと思います。“Bon Giorno Principessa”これがイタリア人の原点だと思います。


イタリアの階級制度と奴隷制度

また、いきなり階級制度の話です。イタリアには民族的な階級がないことは既にお話したとおりです。ヨーロッパ各国で嫌われているユダヤ人に対しても全く差別はありません。但し、流浪の民であるジプシーに対しては、多少の差別意識はあるみたいです。でも、これは例外と考えて良いでしょう。また、職業に対する差別意識もありません。その人が、農業だろうが、職人だろうが、商業だろうが、差別する事は全くありません。

但し、貴族という階級が存在します。その貴族と平民の間には、とても埋め尽くせない溝があるのです。ちょうど、江戸時代の武士と町民・農民の関係のようです。この貴族というのは何時どこで生まれたのでしょうか。そこにはお金と歴史があります。要するに貴族は昔の金持ちなのです。元は何であれ、お金を持ち大きな家を作り、武力を持ち、領土を広げて、更にお金持ちになり、領主・王様にまでなった家柄です。早い話が、お金がないと、いくら頭が良くて力が合っても貴族にはなれなかったのです。そこが、日本の武士と町民・農民との関係と大きく違うところです。“武士は食わねど高楊枝”なんてことは絶対になかったのです。

だいたい、これらの貴族は、今でもお金持ちですから、この階級制度は、もちろん正式なものではありませんが、今でも存在します。今では、金持ちと貧民、又は、ブルジョアとブルーカラーという形になります。即ち、金持ちは、高い教育は受けられますが、貧民は、初等教育までだからです。この高等教育を受けたブルジョアは、絶対に自分の手を汚すような仕事はしません。常にエリートコースを歩き、マネージメントになるべく人たちなのです。この階級制度は、今でも、イタリア社会には存在するのです。でも、ブルジョアだからと言って、机に座っているだけではありません。彼らには、ブルーカラーの人が気持ちよく仕事をして、効率よく生産できるように、常に考えなくてはいけない責任があるのです。もちろん、伝統あるブルジョア(貴族)としての地位を守るために、ブルジョアに与えられている使命なのです。そんなに生易しいことではありません。お金を稼がないと、貴族を維持できないのです。

それでは、奴隷制度はどうでしょう。戦争をして征服した民族が、征服された民族を奴隷にする事は歴史の常識です。但し、イタリアでは、上記にも書いたように、征服された人たちもイタリアから出て行ったり、追い出されたりしていませんので、時代と共に交じり合って奴隷が奴隷でなくなってしまいます。新たな奴隷を得るためには、戦争をしてどこかを又征服しなくてはいけません。従って、奴隷はだんだん減ってきてしまいました。即ち、イタリアの歴史の中で出てくる奴隷制度は、アメリカにおける黒人に対する奴隷制度とは明らかに違います。一言で言えば、イタリアの奴隷は、アメリカのような半永久的な奴隷ではありません。従って、ブルジョアのマネージメントは、奴隷がいなくても生産できるような仕組みを考える必要が出てきました。


もう一つのイタリア

上記のイタリア人の文化と奴隷のいない仕組みが生んだものがクリスピ・ダッダではないかと考えます。即ち、イタリア人の文化とは、“愛”、“生活”と“楽しみ”の三つからなっていること、及び、それらをイタリア民族として共有して持っていることをまず理解しないといけません。そして、上層階級である貴族は、自らの地位を維持するために、ブルーカラーの人たちが気持ちよく仕事をして生産効率が上がるように考えたのが、クリスピ・ダッダなのです。これで、何故クリスピ・ダッタがイタリアにあるのかを理解することができると思います。イタリア人は、昔は良かったが、今は、いい加減で駄目になったわけではないのです。それは、昔からの長い歴史からの文化であり、昔から人間として必要なものだったのです。


クリスピ・ダッダに戻りますが、まだ、他の外国では奴隷制度や地方からの少女を強制労働させている時代に、クリスピ・ダッダの経営者は、労働者に対して、家族が一緒に住めるような住宅だけでなく福祉設備まで揃えてあげ、人間が生活する上での不安をなくした上で仕事をさせて生産性向上に努めたことは、これまでのイタリアの歴史に育まれた文化のなせる業だったのです。


イタリア人を褒めちぎってしまいましたが、このイタリア人の根本となっている考え方は、今や、世界中の人が賛同できるものと思います。但し、まだ、世界中の人たちがそうありたいと思っているのですが、置かれている環境が、そうする事を許してくれないために、妥協してしまっているのが現実だと思います。高度成長時代を考えてください。当時、人々は先に進むことばかり考えて、自己を振り返ることもなく、ただひたすら働き、イタリア人の事を“怠け者”と馬鹿にしていたのです。今考えると、全くひどい環境だったのです。バブルがはじけて、初めて、今まで何をしてきたのだろうと考える人が出てきました。そして、高度成長時代には馬鹿にしていたイタリアの文化が、今では、賛同できるものとなって来たのです。


でも、この考え方が文化として息づいているイタリア人は(少なくとも映画の中では)そうではありません。また、
La vita è bellaが出てきますが、文化となってしまえば、置かれている環境には関係なくグイド(La vita è bellaの主役のお父さん)のように、美しい人生を作るために、わが身を犠牲にしても突き進むことができるのです。その結果として、目に見える形で残っているのがクリスピ・ダッダではないでしょうか。


イタリアにも高度成長の時代はありましたが、イタリア人は、日本人のように自己を失うことがなく、
イタリア人の文化である“愛”、“生活”と“楽しみ”を維持し続けていたのです。というより、イタリアの文化が、人々に“愛”、“生活”と“楽しみ”を維持させ続けたのです。


イタリアの商店

イタリア人を褒めるのは良いのですが、やはり、不便さを感じることがあります。特に、イタリアのお店は、お昼時間に閉まってしまうし、日曜日には開いていません。それに、コンビニもないので、緊急に、何かを欲しいときにはどうしようもありません。それに加えて、店の人は不親切で、客を客としてみてくれないときがあります。何かを聞いてもそっけない答えだけで、物を売ろうという意志が感じられません。それでも、買わなくてはいけないものを買ってあげるのに、うれしそうな顔も見せないことがあります。これらもイタリアの文化と言ってしまえばそれだけなのですが、文化のバックグラウンドくらいは知っておかないと、腹が立つばかりです。


そもそも、日本では「士農工商」という身分制度がありました。この制度は中国の儒教の教えから来ていますが、それを、昔の偉い人が「士は武士のことである」と理解して、この教えに基づいて身分制度を作ったわけです。もともと、“士”が支配者であり、農工商が被支配者なのです。“商”はその被支配者の中でも最後の身分です。“商”は、自分では何も作らず、人が作ったものを取引して利を増やすことから、儒教でもその身分を一番低く抑えられています。もちろん、“商”の人たちにも、その意識がありますから、「お客様は神様です」的な態度をとるのです。お客様のほうも、それが当然と考えていて、態度の悪い店は、二度と行かないことになります。


でも、イタリアには儒教はありませんので、日本や中国のように、“商”は決して身分が低いわけではないのです。イタリアの歴史を見てもお分かりのように、ヴェネツィアやジェノヴァの商人たちは、財力を生かして貴族となり、軍隊まで持って自分達の共和国の国力を高めて、周りの国を攻めて領土を広げています。フィレンツェのメディチ家も、もともとは薬屋さんです。それがフィレンツェ一体を納める領主となりました。従って、商人は、どちらかと言うと、他の身分よりも上にあると考えられているのです。商人たちは、「俺達がお前らの為に、商品を遠くから運んできてやったのだ」くらいの気持ちを持っていても当然なのです。但し、既に書きましたようにイタリアにも階級による身分制度はありました。それは、金持ちか貧民によってその階級が決められるのです。農民は、領主によって税金を搾取されてお金を貯められないので、何時の時代でも階級が低いのです。


昨今は、同じような店が増え、企業としてのチェーン店も出来てきたので、今のままでは、お客も来なくなり、そんな事は言っていられません。企業は、お金儲けが仕事ですから、お客様を大事にしなくてはいけませんので、徐々に、変わってきています。それでも、日本や中国のようには行きません。それに、小さな店は、固定客で成り立っているところも多いので、新しいお客は必要ない場合もあります。


そのようなわけで、イタリアのお店の人とお客は、日本のような店と客の関係ではなく、個人的なお付き合いの範囲と考えているのです。そんな人のところに、いきなり、日本人のお客が来て、あれこれと聞いてくると、言葉の問題が大きな障害となって、ぶっきらぼうな答えになる事は理解できると思います。営業時間も、同じことです。お客の為に店を開けるような考えは、もともと持っていないのです。少しは、理解できましたでしょうか。やはり、文化の違いなのです。


イタリアの教育制度

イタリアの文化は歴史の影響は大きいのですが、それだけではありません。現在のイタリアの教育制度の影響も大きいのです。日本では考えられないことですが、イタリアの教育に使用する教科書には、日本のような検定制度はありません。もちろん、歴史に関しては、非常に重要なので、政府としても目を通しているそうですが、それも、必要な項目(ローマ帝国の歴史や悪いことの代表としてのムッソリーニの独裁等)が入っているかどうかのチェックだけで、思想的な検閲は行っていません。従って、その教科書がカトリックの教えに沿っているか、民主主義にのっとっているか、はたまた共産主義なのかは、検定の対象ではありません。それらの教科書の中から、学校が好きなものを選んで教育をしているのです。


また、学校には入学試験もありません。従って、誰でも、お金さえあれば学校に行けます。つい最近、義務教育は無料となりましたので、誰でも学校に行けるようになりましたが、以前は、階級の低い人たちは学校にも行けませんでした。それが、イタリアでは教育が遅れて、文盲率が高い原因となっていました。今は、義務教育までは誰もが受けられます。但し、卒業するには、試験をパスしないといけません。どうしてもパスしない人は、学校を変えるか、卒業を諦めるしかないのです。学校の教育方針が悪かったり、教科書が気に食わなかったときは、学校を変えることになります。教えられるほうにもその権利はあります。従って、教えるほうも、教えられるほうも、比較的に思想の自由が与えられています。そこには日本の教育方針とは大きな違いがあります。


このような教育制度に基づいて教育されたイタリア人は、思想的にも天真爛漫ですので、日本人の常識に対して、彼らにとっては常識ではないことがいっぱい出てきます。その中で一番違いが大きいのは、イタリア人はイタリア国民としてのまとまりがないことです。何度か、取り上げていますように、イタリア人はイタリア国民としても意識よりも出身地の意識が強いのも、この教育方針の影響が多いのではないかと思います。即ち、育った地方の教育では、その地方の教育方針を最優先するでしょうから「おらが街が一番」となってしまうのです。



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