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イタリア観光のための知識 ― キリスト教の祝日



またまた、話がそれてしまいますが、キリスト教の祝日はどこから来ているのでしょうか。聖書には、何月何日に何がどうしたとは書いていません。例えば、キリストの生まれた日は何時なのか、聖書には記述はありませんし、キリストが復活したのも、磔で死んでから3日後とあるだけです。それでも、今や、1225日がクリスマスで、イースターは、春分の日の後の最初の満月の直後の日曜日となっています。なぜ、1225日とか春分の日が出てくるのでしょうか。

クリスマス

一番有名なクリスマスの話から始めます。クリスマスはキリストの誕生日、又は、サンタクロースがプレゼントを運んでくる日として、世界中で有名です。日本でも祝日ではないのですが、子供達はクリスマスを楽しみにしていますし、若いカップルは、クリスマス・イヴのデートは、1年で最も重要なデートと考えています。

でも、それは現在の話であり、大昔はそうではありませんでした。1225日は冬至として、自然崇拝にとって重要な日でした。冬至は、もっとも陽の短い日で、この日を過ぎると陽は長くなり、暖かくなってくるのです。ですから、冬至には、新しい陽が上ると考えられていて、新しい陽を崇めることで、その年の収穫を確保することが重要でした。日本でも、盆と正月、それにお彼岸は大事な日です。これも、大昔から農耕民族であった日本人にとって、重要な季節の変わり目の日だからです。盆と正月が夏至と冬至、お彼岸が春分と秋分というわけです。これらの日は、キリスト教徒は全く関係なく、農耕民族として、自然を司る神様(たち)に対して感謝の念を表して、その年の収穫をお願いする重要な日なのです。

更に、キリスト教以前にもっとも広まっていてミトラ教の神様の誕生日が1225日だったのです。キリスト教の教会指導者は、これらの現実を知っていた上で、キリスト教の布教の為に、庶民が祝日と考えている1225日をキリストの誕生日と決めたのです。要するに、教会指導者達が、不況の目的の為に、人の尻馬に乗って決めたのがクリスマスなのです。

ついでに16日の御公言の祝日に関しても、ほぼ同じで、この日は1225日から7日後で、ユリウス暦では、16日が冬至なのです。その証拠に、未だに、ユリウス暦を使っているロシアでは、クリスマスは16日となっています。キリスト教がすべてと思っていると、そのうち自然界の大きな間違いが生じるかもしれません。

イースター

要するに復活祭です。日本人にはあまり馴染みがありませんが、キリスト教にとっては大事な行事です。でも、復活と春分の日とどのような関係があるのでしょうか。はっきり言うと、復活の日と春分の日は何も関係はないと思います。聖書の記述では、キリストの処刑後3日、即ち、日曜日の朝となっています。それだけです。従って、春分の日と満月に関しては聖書には何も記述がありません。

これも、クリスマスを決めた理由と全く同じです。農耕民族では、春分の日を境に田植えが始まります。これからが、本格的な農耕となるのです。収穫をお願いするために神様を祝うのはこの日が一番です。満月も潮の満干に関するものですので、キリスト教ではありません。月の満干は天気に関係するものですので、これも農耕民族の自然崇拝からきているものと考えられます。

まとめると、農耕民族の間では、春分の日の直後の満月の日は、自然崇拝の神様を祝う日だったのでしょう。日本の中秋の名月に良く似ていますので、信ずるに足りると思います。キリスト教の教会指導者は、その日を復活祭とする事で、多くの農耕民族をキリスト教徒に引き入れることを考えたのだと思います。



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