イタリアふれあい待ち歩き


イタリア観光のための知識 ― キリスト教と聖母マリア 



アヴェ・マリアを聞くと、心が落ち着き神聖な気持ちになり、誰もが平和な世界への思いで高まり、しかもキリスト教徒の気分になってしまうのは、私だけではないと思います。それこそ、“ロザリオの祈り”を捧げたくなります。聖母マリアが、“母であること”と“永遠の処女”は宗教を超えた偉大さがあります。これは、上記の聖母マリア信仰の起源にあるとおり、キリスト教信仰が始まる以前から不変なものなのです。従って、聖母マリアに関しては、キリスト教を超えたものであることが、聖母マリア信仰の原点といえるでしょう。

聖母マリア信仰の原点

イタリアで聖母マリアを著わす言葉を集めてみました。

Santa Maria(教会)

Biata Vergine(サクロ・モンテ)

Maria Vergine又はVergine Maria(一般)

Vergine又はSt. Vergine(絵画)

Maria(絵画)

Madonna(教会)

Madonnina(ミラノのドゥオモ)

Nostra Signora(教会)即ち、“我々の夫人”


やはり、ヴァージンが多く使われています。スペインでは“神の母”とも呼ばれているみたいですが、イタリアでは見かけません。フランスでは“貴婦人”とも呼ばれていると聞きますが、これは上記のMadonnaNostra Signoraにつながるのだと思います。


白いマリア像と黒いマリア像の話も興味がつきませんが、白いマリア様は、確かに清潔感があり、優しさにあふれているように見えますが、聖母マリアを神と考えた場合、日本の弥勒菩薩のように、黒くて神秘的で気品のある微笑みを持っている方が神様により近く見えると思います。「イタリアの情報」にあるサクロ・モンテに関するところで、オローパの“黒いマドンナ”と広隆寺の弥勒菩薩“半跏思惟像”を比較していますが、本当に良く似ています。世界の西の橋と東の端にある二つの像がこれほど似ているのは、この二つの像のお顔が、正に、世界共通の人間が崇める母神の顔だからではないでしょうか。

キリストの物語と聖母マリア

三位一体と聖母マリアの話までしてしまいましたので、ここで核心に触れたいと思います。キリストの物語(新約聖書の物語)です。いったいどこまでが本当の話で、どこからが作り話なのか、を探るとわけがわからなくなってしまいます。全部が作り話なのかもしれません。それでは、面白くありませんので、ここでは、どこまでが、昔からの言い伝えで、どこからが後になってカトリック教会で加えたものなのかを考えたいと思います。特に、聖母マリアの記述がキーとなります。

昔からの言い伝えは、即ち、聖書です。聖書には旧約聖書と新約聖書があり、新約聖書には4つの福音書が正典として含まれています。マルコ、マタイ、ルカとヨハネの福音書です。その他に、教会では聖書では正典としては認めていません(これも教会の都合で決めたもの)が、外典と呼ばれている正典とほぼ同時代に書かれた福音書がありますが、これについては次の章で触れます。

正典から見てみますと、4つの中で一番古いのはマルコの福音書と言われています。マタイとルカの福音書は、マルコの福音書ともう一つの今はない文書を基に作られたとも言われています。ヨハネの福音書が最後に作られました。最初の福音書であるマルコの福音書は、この中では一番短いもので、ガリラヤでの洗礼者ヨハネによるキリストの受洗から始まり復活の直後にガリラヤで弟子達と会うことをマグダラのマリアに伝えたところで終わっています。マグダラのマリアがそれを弟子達に伝えたかどうかがはっきりとしないため続きがあるのでは無いかとも言われています。

それはともかく、即ち、成人になった後のキリストの物語と教えを書き記したもので、聖母マリアに関する記述はほとんどありません。処女受胎からキリストが成人となるまでの物語はマタイとルカの福音書に出てきます。また、もう一つのヨハネの福音書もキリストの受洗から始まり復活までとなっています。即ち、4つの福音書のうちの2つだけで“聖母マリアの処女受胎”の記述があります。

ここでわかるように、福音書では、“キリストの受難”がメインであり、一番古いマルコの福音書には書いていない聖母マリアの話はサブの立場だったのです。それに加えて、聖書に処女受胎の記述はありますが、処女受胎がカトリック教会で言う“無原罪の御宿り”であるとの記述はどこにもありません。もちろん、“聖母マリアの被昇天”“聖母マリアの天国での戴冠”もありません。即ち、聖母マリアに関するこれらの奇跡や事象は、後日、カトリック教会によって加えられたものと考えられます。

また、“聖霊の降臨”についても同様です。即ち、無原罪も聖霊もカトリック教会によって後で追加されたものです。何故、これらの事象をわざわざ加えなくてはいけなかったのかは、これまでに書いたとおり、三位一体を正当化するためです。

更に、もともと男尊女卑の元祖であったカトリック教会が、中世において、これほどまでに聖母マリアを持ち上げなくてはいけなかった理由は、前にもちょっと触れましたが、キリスト教の布教の為の妥協と中世の宗教改革の流れを止めることにあったのです。宗教改革とは、キリスト教は原則に戻りもっと聖書に忠実になるべきとの考えから出発していますので、カトリックに比べると聖母マリアの存在を軽視しがちです。

要するに、カトリックが布教の為に妥協してきた数々のことに対する反発なのです。聖母マリアは確かに神の母であるが、聖書には聖母マリアに関する記述は限られているではないか、それなのに、聖母マリア崇拝は度を越えているというものです。しかし、三位一体を基本に成り立っているカトリックでは、三位一体の根本でもある聖母マリアを軽視させるわけには行かなかったのです。

また、最初はどうあれ、今や大勢のキリスト教徒が信仰している聖母マリアを前面に押し出すことで、カトリックからプロテスタントへの改宗を踏み留ませて、カトリックとしてキリスト教国家の安泰を考えたのだと思います。このあたりも教会のしたたかさが見て取れます。男尊女卑はどこかに行ってしまっています。これも、キリストの教えよりも、自己の主義よりも、キリスト教の布教と国家の安泰が第一の考えなのです。

サクロ・モンテの意義

サクロ・モンテは、その複数形のサクリ・モンティとして、2003年に世界遺産に登録されています。世界遺産に登録されたのは全部で9つのサクロ・モンテです。そこには、新約聖書の物語がフレスコ画と陶磁(テラコッタ)で出来た彫像によって見事に表現されている礼拝堂がその事象の順番に並べられていて、それを巡礼する事で新約聖書の物語を再認識できるようになっています。

新約聖書の物語とはキリストの生涯なのですが、実際には、@キリストの受難(2つ)、A聖母マリアとキリストの生涯(2つ)、B聖母マリアの生涯(3つ)、C三位一体(1つ)、D聖フランチェスコの生涯(1つ)、の5通りのサクロ・モンテとなっています。このうちの聖母マリアに関係するAとBが、9つのサクロ・モンテの中の5つを占めます。また、その中の4つは、聖母マリアのサクロ・モンテであることをはっきりと名前に残しています。キリストの受難がメインである新約聖書から題材をとっているにもかかわらず、少なくとも4つのサクロ・モンテでは聖母マリアが主役となっているのです。

もともと、イスラム勢力によって支配されていて巡礼に行く事も出来なかったエルサレムを模して、キリスト教徒の巡礼地として作られたサクロ・モンテですが、途中から宗教改革の流れを止めるべく方針に変わってしまいました。その今残っている9つのサクロ・モンテのうち、5つが聖母マリアをメインにおいていることからも、この時期に、聖母マリアを持ち上げることがカトリックにとって如何に重要であったかが証明されています。


サクロ・モンテで使われているカトリックにおける新約聖書の物語は下記の通りです。括弧内は、記述のある新約聖書正典の福音書です。

1.            アダムとイヴの原罪(旧約聖書からのもの)

2.            処女受胎(マタイ・ルカの福音書)

3.            受胎告知(マタイ・ルカの福音書)

4.            三博士礼拝(マタイ・ルカの福音書)

5.            羊飼いの祈り(マタイ・ルカの福音書)

6.            キリストの降誕(マタイ・ルカの福音書)

7.            神殿奉献(マタイ・ルカの福音書)

8.            エジプトへの出国(マタイ・ルカの福音書)

9.            無実の子供たちの虐殺(マタイ・ルカの福音書)

10.    キリストの少年時代(マタイ・ルカの福音書)

11.    洗礼者ヨハネによる受洗(全福音書)

12.    荒野の誘惑(全福音書)

13.    山上の説教(全福音書)

14.    ユダヤ各地での布教(全福音書)

15.    キリストの変容(全福音書)

16.    エルサレムでの演説(全福音書)

17.    最後の晩餐(全福音書)

18.    逮捕(全福音書)

19.    裁判と茨の冠(全福音書)

20.    十字架刑(全福音書)

21.    ピエタ(全福音書)

22.    キリストの復活(全福音書)

23.    キリストの昇天(福音書には無い)

24.    聖霊の降臨(福音書には無い)

25.    聖母被昇天(福音書には無い)

26.    聖母マリアの戴冠(福音書には無い)


上記でわかるように、サクロ・モンテもそうですが、カトリックは、今や聖母マリアで始まり、聖母マリアで終わっています。即ち、聖母マリア信仰は、宗教改革に対抗するために、カトリック教会が作り上げたものとも考えて良いところまで来てしまったのです。もう、後戻りは出来ません。


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