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イタリアの観光情報 ― 古代ローマ遺跡


 

ミラノ・ロマーナとミラノ周辺の古代ローマ遺跡


ミラノは紀元4世紀に西ローマ帝国の首都であったこともあるくらいですから、古代ローマ時代からの街です。但し、中世の人々は古代の遺跡にはあまり興味はなかったのか、ミラノ以外の古い大きな街と同様に、ローマ人が建造した堅固な土台を都合良く利用してその時代の建物を次々と建ててしまったので表面的に古代ローマ遺跡を目にすることはほとんどありません。それでも、歴史の痕跡はちゃんとあります。それをこの章ではまとめてみます。また、ミラノ周辺もミラノ同様に、ローマ時代の痕跡を見ることが出来ます。ミラノやトリノのようなローマ時代から続いた大きな街だけでなく、ローマ時代は栄えていても、今では廃れてしまった街(今では村)にもローマ遺跡があります。そんな小さな街(村)にローマ遺跡を訪ねてみるのも、イタリアならではの味わいとなります。教会巡りに飽きたら、今度はローマ遺跡巡りです。これもイタリアの楽しみ方のひとつです。

ミラノ市街地の古代ローマ遺跡

ミラノ市内を観光する上で、通り一遍の知識では、普通の観光客が観光するところで終わってしまいます。ミラノに長く滞在して時間があれば、もっと深い観光をするので、そのために必要な知識を身につけておくと、その深い観光がもっと楽しいものに変わっていきます。まず初めとして、古代のミラノに焦点を当てて話しを進めていきます。


ミラノにはローマ時代の遺跡は、殆ど無いと思っていたのですが、やはり、そこはイタリアです。ちゃんとあります。まず、スフォルツェスコ城の博物館に展示されているローマ時代の遺跡です。でも、全てが掘り出した遺跡の展示だけなのであまり感動はありません。そこで、考古学博物館に行くと、もっと、現実的な展示がありやはりミラノもイタリアだったと感じます。考古学博物館は、ガイドブックにも隅のほうにあるので無視されがちですが、時間のあるミラノに住んでいる人は、1回は見学に行ったほうが良いと思います。ミラノの歴史の始まりを知ることが出来ます。それに、入場料も2ユーロと格安です(スフォルツェスコ城博物館と考古学博物館はミラノ市営博物館ですので金曜日の午後2時からは無料です)。ちなみに、観光客に人気のある科学技術博物館やアンブロジアーナ絵画館などは8ユーロもします。考古学博物館には、ミラノの各エリアから収集した遺跡を展示してあるだけでなく、古代ローマ時代のミラノがどのようになっていたかが絵になっていてわかりやすく説明されています。


ミラノは、他のローマ都市と同様に、ローマ時代には、城壁で囲まれていた都市でした。位置は今とほぼ同じで、ドゥオモの位置がローマ時代でも中心です。実際にドゥオモは4世紀に建てられたローマ時代の大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂とサンタ・テクラ聖堂の2つあったことが確認されている)を包み込むように建てられています。ドゥオモの入口の下には、サンタ・テクラ聖堂の一部の遺跡と聖ジョバンニ・アッレ・フォンティ洗礼堂(サンタ・テクラ聖堂とサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の間にあった礼拝堂)の遺跡があり、古代ローマ時代のミラノの遺跡見学の出発点でもあります。

このドゥオモの地域を中心に、東はカイローリ、西はサンバビラの駅とモンテナポレオーネ通り、北はスカラ座の先、南はミッソーリと小さく纏まって城壁で囲まれていました。城壁の内側には、現在のサン・セボルクロ教会とアンブロジアーナ美術館のところに位置していた公開集会場(フォロ)の他に、考古学博物館の位置にあった馬車の競技場と王宮エリア、その近くに円形劇場、サンバビラの南には公衆浴場等があったようです。城壁の外には円形闘技場がありました。キリスト教の影響が強くなった4世紀には城壁内には大聖堂、城壁外には4つの教会ができます。その後もいくつかの教会が建立されました。この頃にはミラノは、西方古キリスト教の中心であり、西ローマ帝国の首都になっています。

                       
                     古代ローマ時代のミラノ
この考古学博物館(旧マッジョーレ修道院)の裏庭にローマ時代の城壁とその城壁の塔が残っています。考古学博物館が当時のミラノの西端の城壁に位置していたことがわかります。これらの遺跡は、隣接するサンマウリッツィオ教会と旧マッジョーレ修道院の一部として使われていたためにローマ時代のまま壊されずに残っていたそうです。考古学博物館から南には馬車の競技場(Circo)がありましたが、その一部の土台が、チルコ通りに残されていますが、ここは今のところ何の説明もありませんので、知る人ぞ知る遺跡となっています。


考古学博物館から東に向かうと、ローマ時代の王宮エリアの一部である土台の遺跡が、歩いて1,2分のところにあります。ここには、丁寧な説明パネルが立てられています。その遺跡の先には修復中の塔があり、また、その周辺は現在遺跡の発掘中のエリアとなっています。今はフェンスに覆われて見えませんが、発掘が終われば、ローマ時代の王宮エリアの全容が目の前に現れると思います。


王宮エリアの東に位置していた円形劇場の遺跡は、証券取引所(メラノッテ宮)の中にあります(土台だけです)。メラノッテ宮を建築していた時にこの遺跡を発見して、遺跡を保存しながら建設を行った記録が残されています。証券取引所は考古学博物館とトリノ通りの中間にあります。残念ながら、証券取引所は土、日は休みなので見学が出来ません。話によると、音響効果を盛り上げてローマ時代の雰囲気を作り上げているそうです。博物館も併設されています。一度、行ってみたいと思っています。


更に、東へトリノ通りの方向に行くと、今のサン・セボルクロ教会の位置にフォロ(公開集会場)がありました。このあたりは、アンブロジアーナ美術館などの中世の歴史的な建造物があるためか、遺跡の発掘はされていませんが、その位置に説明パネルが立てられています。


更に東に行くと、ドゥオモの前の広場を作るとき及び地下鉄工事のときにも遺跡が発掘されています。それは、当時あったポルタロマーナまでの屋根つきの幹線道路(カルドマキシムズ)の遺跡だそうです。ドゥオモ広場の地下にあるツアリストオフィスに行くと、説明はありませんがその遺跡が床下に見えるようになっています。また、サンバビラの南には、大きなスパルタクスの公衆浴場があり、その遺跡は考古学博物館に飾られています。公衆浴場があった位置には浴場の土台の一部だけが残っていて、広場のモニュメントとなっています。但し、何の説明もありませんので、何でこんなところに遺跡のようなものがあるのだろうと思うだけです。


ローマ時代の城壁の外に目を移しますと、円形闘技場の遺跡(アンフィテアートロ・ロマーナ、一部の土台だけが残る)と小さな博物館が、サンロレンツォ教会の近く(デ・アミチス通り)にあります。ここは、将来、遺跡公園にする予定とのこと。きれいに整備されていますが、まだ、一部工事中です。博物館が併設されていますので、きちんと遺跡の説明があります。説明によるとかなり大きな闘技場であったことがわかります。この闘技場は、キリスト教の発展とともに、野蛮な闘技は行えなくなり、取り壊されたそうです。4世紀に出来た城壁外の教会の土台には、これらの壊されたローマ時代の施設(特に、円形劇場と円形闘技場)が使われていることも確認されています。特に、サンロレンツォ教会の礼拝堂の基礎にはこの闘技場の柱が使われています。


これらのローマ遺跡に関してはガイドブックには殆ど記載がありませんので、これらを訪れる観光客も殆どいません。今や、ミラノは時代の先端を走るファッションの街である印象が強いのですが、実際にはローマ時代から続く古い街であることの証をめぐることで、ミラノを再認識してみたらどうでしょうか。
ミラノで見ることが出来るローマ遺跡の写真をまとめましたので興味のある人は見て下さい。−−−>ミラノのローマ遺跡のアルバム

ミラノ周辺の古代ローマ遺跡

北イタリア、ミラノ周辺にも古代ローマの足跡は残っています。但し、ミラノのようにじっくりと探すことも出来ませんので、下記に記述したくらいが限界です。ミラノ周辺を歩いていますと、期待していなくても忽然とローマ遺跡が現れてくることがあります。そんな時は、うれしくなってきます。また、ローマ遺跡を訪ねて小さな旅行をするのも楽しみの一つです。

アクィレイア

ここは、ミラノ周辺からちょっと離れていますが、1998年に世界遺産に登録された北イタリアで最大のローマ遺跡です。古代ローマにおいて、アクィレイアは、第2のローマと言われて、人口20万人の大都市だったのです。ここは、まだ発掘途上ですが、フォロの遺跡とリバーポートの遺跡が大きなものです。博物館も充実していて総主教大聖堂とあわせて見所たっぷりの世界遺産です。

ブレーシア

ブレーシアには、ローマ時代のカピトリーノ神殿と円形劇場の遺跡があります。カピトリーノ神殿はかなりの復元が終わり、円形劇場も現在復元しています。また、1971年以来3回ほど世界遺産の登録を申請しているサンタジュリア・サンサルバトーレ修道院にはローマ時代の邸宅跡が残っています。この修道院も9世紀に創建されたもので、現在は、ローマ時代と修道院の複合建築の博物館となっています。

ヴェローナ

ヴェローナには、夏の間にオペラが行われるアリーナがあります。このアリーナは、ローマ時代の物としては非常に保存状態が良いものです。また、円形劇場の跡もあり、そこに発掘された遺跡の博物館があります。

トリノ

トリノもローマ時代からの街です。マダマ宮殿はローマ時代の城がその土台になっています。時代と共に、改修を加えて今のマダマ宮殿になりました。裏手の2つの城塔はローマ時代に建てられたもので、宮殿の1階部分はローマ時代の遺跡を無料で見ることが出来ます。また、王宮の東、ドゥオモの北側にもローマ時代の円形劇場の遺跡があり、無料で見学できます。その東は、遺跡公園となっていて、ローマ時代の門と住居の遺跡があります。

シルミオーネ

ガルダ湖の突き出した半島の先のシルミオーネにはローマ時代の大きな邸宅の遺跡があります。ローマ時代から温泉のある避暑地として繁栄してきたシルミオーネならではの遺跡です。邸宅は非常に大きくて見ごたえのあるローマ遺跡です。周りのガルダ湖の景色とこのローマ遺跡のマッチは正に圧巻です。中に小さな博物館もあります。

リミニ

ボローニャから普通列車で1時間半のところにあるアドリア海の港、リミニには、紀元前263年からローマの植民地でした。シーザーがラヴェンナからルビコン川を渡って着いたのがリミニです。正に、「賽は投げられた」ところがリミニなのです。その後も、ローマにとって重要な街として、アウグストゥス帝のアーチ、ティベリウス帝の橋、円形闘技場等のローマ遺跡を見ることが出来ます。

トリエステ

北イタリアの東の果ての国境の街のトリエステはアクィレイアと共にローマ時代から栄えていました。従って、ここにもローマ遺跡があります。街の中心地の近くにあるローマ劇場です。ここも保存状態が良く、今でもコンサート等に使っているそうです。

ルーニ

ジェノヴァから列車で東に1時間半ほどにあるスペツィア県のルーニ村に、円形闘技場とローマ劇場の遺跡があります。ちょっと、遠いですが、日帰りで行けないこともありません。ルーニ村は、古代ローマ時代にはローマからマルセイユに繋がるAurelia街道の通過点に位置し、北へはローマからイギリス・カンタベリーまで延びるFrancigena街道に繋がる交通の要所で、しかも、リグリア海に面した港もあった大きな街(Lunaと言われていた)でした。当時10万人の人口を抱えていたと言われています。今でもLunigianaと呼ばれている地域(北はパルマとの境界線、西はラ・スペツィア、東はトスカーナ州のカッラーラ、マッサまで)の全体をその配下としていました。紀元1000年まで街として存在していたのですが、近隣諸国との抗争だけではなく、海岸線が2キロ南に移動したこととマラリア・ペストの流行で、住民のほとんどは周辺の街(サルザーナ、カッラーラ、マッサ、オルトノーヴォ等)に移り住み、ついにルーニは消滅してしまいました。

リバルナ

ジェノヴァの北50キロにある小さな村・リバルナに円形闘技場、ローマ劇場、街道、住居、水路等の遺跡があります。レグリア海からポー川への交易の中心地としてローマ時代に栄えた街でした。

エミリア・ロマーニャ州(その他)

エミリア・ロマーニャ州には、リミニの他にもローマ遺跡があります。ボッビオにはローマ時代に建造された橋があります。高さも長さ方向も真直ぐではないこの橋は、いかにもローマ時代のものであると実感します。

パルマのドゥオモ広場にもローマ時代の遺跡があり、広場にある博物館にはその遺物が展示されています。

ピアチェンツァから南に入った小さな村(ヴェレイア)にも円形競技場の遺跡がありますが、交通機関が不便でなかなか行く事が出来ません。ここもローマ時代の都市でしたが、土砂崩れで一瞬にして埋まってしまったと言われています。

ロンバルディア州(その他)

ロンバルディア州では、コモ湖畔周辺にもシルミオーネのようなローマ時代の邸宅遺跡があるようです。歩いていたら、ローマ遺跡の案内図をみることがあります。

ローディ・ヴェッキオもローマ時代からの古い街でしたが、戦災で完全に破壊されて、今ではその痕跡だけを見ることが出来ます。ここで掘り出されたものはミラノとローディの博物館にあるそうです。

クレモナ県の小さな村(パラッツォ・ピニョーノ)を訪ねたときに、ローマ時代の邸宅の遺跡を見ました。まだ、発掘途上ですが床のモザイクがきれいに残っていました。

ピエモンテ州(その他)

ピエモンテ州のノヴァーラヴェルチェッリも古い街で、ローマ時代の遺跡がどこかにあると思います。ノヴァーラの街の中心地には、遺跡らしき発掘があり、イタリア語の説明がありました。

トスカーナ州(その他)

トスカーナ州にも遺跡がいっぱいです。フォレンツェの円形競技場とフィレンツェ近くのフィエーゾレのローマ劇場が有名です。非常にユニークな遺跡として、ルッカの円形競技場があります。円形競技場の基礎の上に中世の建物が建っていて、その建物の並びが円形競技場の楕円形となっているのです。世界遺産の街のアッシジでも同様な円形競技場を見ることが出来ます。アレッツォにも円形競技場の遺跡があります。

ヴァルダオスタ
アオスタ渓谷はシーザーもガリア遠征で通ったFrancigena街道が通っています。ナポレオンも越えたグラン・サン・ベルナール峠からアオスタ、ヴェルチェッリ、パヴィア、ピアチェンツァ、ポントレモーリ、ルッカ、シエナを通ってローマまで通じています。正に、「全ての道はローマに通ずる」なのです。従って、アオスタの街にもローマ遺跡があります。また、ポン・サン・マルテン等にはローマ時代の橋も残っています。バール村とポン・サン・マルテンの中間にあるドンナ村には轍が残る街道の遺跡そのものがあります。


その他

その他の街でも、何気なくローマ時代の遺跡がモニュメントのように飾られているのを観たことがありますので、よく調べるとかなりあると思います。北イタリアでは、上記のアクィレイア、ルーニ、リバルナ、ヴェレイア等、ローマ時代の都市が衰退して廃墟になるか、又は戦災や突然の天災で消滅してしまい、今や田舎の村になってしまったところもあるのですが、ミラノやトリノのようにローマ時代の都市がそのまま現在に至るまで続いているところも多いのです。そんなところでは、ローマ時代の建物の土台は、その後に建てられた中世の建物の土台として利用されているものが多々あります。ルッカやアッシジの円形競技場は、そのことを如実に証明しています。

ミラノ周辺の古代ローマ以前の遺物

パルマの南のアプアン・アルプスの麓、トスカーナ州のLunigianaの入口の街であるポントレモーリには、この付近で発見された紀元前8世紀から6世紀に造られたと言われている石碑を展示した博物館がCastello del Piagnaroの中にあります。これらの石碑はイタリアの原住民であるエトルリア人が残したものと言われていますが、まだ、はっきりとした答えが出ていません。但し、古代ローマのラテン人、その後のゲルマン人がこの地に侵略する前の時代の遺跡であることは確かです。これらの石碑は、古代ローマ時代の彫刻と比べると幼稚で芸術性は感じられませんが、古代ローマ以前の考古学的に貴重な遺跡です。

世界遺産にも登録されているヴァル・カモニカの岩壁線刻画群も考古学的に貴重な遺跡です。このヴァル・カモニカの岩絵群には、1万年前の旧石器時代から古代ローマ時代のアルファベットを刻まれた岩まで、約8000年間に渡る線刻画が残っています。氷河で平らになった岩盤に彫られた線刻画はあわせて14万点も発見されています。素人目には、単なる落書きなのですが、当時の生活がわかる貴重な資料なのでしょう。

貴重な資料と言えば、ボルツァーノの考古学博物館にあるアイスマンは5000年前の人間のミイラ(ウェット・ミイラ)です。アルプスの氷の中から見つかり、服を着て狩猟の装備まで持ったままでした。但し、このミイラを発掘した人達は、全員、変死してしまったそうです。

その他にも、ローマ時代以前にこの地域に住んでいたエトルリア人、リグーリア人、ケルト人の足跡は、北イタリアの各地で見ることが出来ます。足跡だけでなく、彼らの言い伝えや伝説も未だに残っています。サンジュリアーノの畑の真ん中にある小さな村に行ったときに、そこの礼拝堂には人の骨が埋められていて、その人達はケルト人で、村を襲ってきた巨人と戦って殺され、ここに埋められたと言い伝えられています。



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