イタリアふれあい待ち歩き


イタリア観光のための知識 ― イタリアの聖人たち



ミラノに来てから、いろんな時にいろんなところでやたらとキリスト教の聖人が出てきます。教会はもちろんのこと、道路、駅、コムーネの名前等いたるところが聖人だらけです。カレンダーには今日はどの聖人の日なのかも出ています。もちろん、休日も聖人がらみがあります。カトリックの国だからと言われればそれでおしまいですが、カトリックなんか考えたこともなく、キリスト教徒でもない人には、何故、こんなになっているの?何でこんなにいっぱい聖人がいるの?との疑問が出てきます。そもそもキリスト教は一神教なのですからそこに矛盾を感じてしまいます。
これでは、多神教ですよね。でも、仏教でも仏陀以外にも神様がいるのですから、そこには深い理由があるのです。

聖人とは?

まず、そもそも何故聖人が出てきたのかとの疑問が出てきます。そこで、聖人のリストを見ると、聖母マリア、12使途、パオロを初めとした新約聖書に出てくる人たち、ダヴィンチコードで有名なマグダラのマリアも含まれています。旧約聖書からも選ばれている人(天使)がいます。その他、キリスト教の殉教者、修道会の創設者、修道士、教皇及び皇帝・皇后まで、多岐に及んでいることがわかります。

これらの人たちは、奇跡を起こした人、優れた社会貢献及びキリスト教の布教にその身をささげた人、キリスト教の布教に貢献した人等から選ばれた人たちで、教皇(カトリックではバチカンのローマ法王)によって列聖と認定された人です。でも、このリストを見るとますます混乱するばかりです。聖書に出てくる人なら理解できないことは無いのですが、教皇や皇帝まで出てきては理解するほうが無理です。日本で有名な聖人は、サンタクロース(聖ニコラウス)とかフランシスコザビエル(日本の守護聖人)くらいでしょうか。

そもそも、何故、聖人というポジションが必要だったのかの疑問に対しては、キリスト教の三位一体が絡んでいると思われます。ご存知のように、三位とは父と子と聖霊です。三位一体とは、キリストは神であり、神の子は神(キリスト)がこの世に遣わした神の化身であり、聖霊も神(キリスト)又は神が遣わしたのである。即ち、この3つは一体であり、それがキリストであるとの理論です。従って、父は神としてのキリストであり、子とは人としてのキリストとなります。3番目の聖霊がこの聖人に絡んでいます。

何故、この聖霊が三位の中にあるのかというと、聖書はキリストの教えだけが書いてあるわけではなく、色々な人たちが、キリストの教えだと言って書いたものを合作したものです。従って、これらの著者達にはキリストからの教えを受けた証が必要となります。それを聖霊という事で説明しているので、聖霊が大事なものの一つとなってしまいます。即ち、神であるキリストが聖霊となって著者に話しかけたり、聖霊が著者に乗り移り著者に代わって奇跡を起こしたりしていると説明しなくてはいけないのです。

その説明をするうえで、この世に聖霊がある限り、聖霊は、いつなんどきでも誰かに話しかけたり、乗り移ったりすることができるわけなので、聖書が完成した後でもその現象はなくなってはいけません。そこで、聖人が出てくるのです。即ち、聖人とは、聖霊によって奇跡をおこしたり、目覚しい社会貢献をした人をさしているのです。ジャンヌダルクはフランスの守護聖人ですが、神の告知(キリスト自身ではなく聖人の一人であるアレキサンドリアの聖カテリーナと大天使ミカエルの声を聞いたと言われる)を受けて立ち上がり革命の先頭に立ったのです。

このジャンヌダルクも一例ですが、キリスト教徒ではない人に一番理解できないこととしては、他にも、異教徒を叩きのめしてまで、キリスト教徒を守ったり布教を広めた人が聖人として認可されていることです。もともと、キリスト教は、異端を力で抑え込む歴史を持っていますから当然なのでしょうが、これは、キリスト教に限らず西洋人の本質なのかもしれません。即ち、聖人の中には、(宗教)戦争に出陣して(又は指揮をとって)相手を叩きのめしたように、その時代のその国の状況からポリティカルな理由で選ばれた人(皇帝も含む)もいると考えられます。

もちろん、反対に、キリスト教徒以外の貧しい人たちや自然に優しい人たちも聖人として選ばれています。あの、マザーテレサ(彼女は聖テレサの告知を受けたのでマザーテレサと名乗った)は、まだ、亡くなって間もないので聖人とはなっていませんが時間の問題です。聖人を選ぶにあたって、その人が本当に聖霊と接触があったのかどうかの判断は、教皇(カトリックではバチカンのローマ法王)がその人の死後50100年かけて審査することになっています。

聖人はカトリックと東方正教会(ギリシャ正教会とも呼ばれている)にも出てきます。キリストの死(昇天)後2000年の間に出てきたのが上記のリストにある聖人たちですが、聖人たちは、カトリックと正教会では多少違いがあります。特に、キリストの死後の聖人では違いが多く出ています。これは、バチカンと東方正教会(イスタンブールに教皇がいる)では、教皇が違うからです。当然ながら、カトリックの国に貢献した人はカトリックの聖人になる事が出来ますが、東方正教会では聖人にはなれません。ジャンヌダルクはフランスを助けたカトリックの聖人ですが、正教会では無視されています。

カトリックの聖人は、はっきりと知りませんが、全部で200人くらいいるようです。また、聖書に忠実なプロテスタントでは聖人崇拝はしないことになっています。もちろん、唯一神を崇拝するユダヤ教やイスラム教(これらの宗教もキリスト教では異端と位置づけています)でも預言者はいますが、聖人はいません。要するに、イタリアはカトリックの国ですから、聖人がやたらと出てくるのです。

聖人の中に守護聖人と言われる人たちがいます。名前の通り、その国、その街を守ってくれている聖人たちのことです。イタリアでは、聖カテリーナが守護聖人となっていますが、第二守護聖人として聖フランチェスコが上げられています。また、ミラノの守護聖人は聖アンブロージョ(サンタンブロオージョ)です。ちなみに、サンドナートの守護聖人は聖ドナートとなります。ミラノに関連のある聖人を調べてみました。

聖カテリーナ

シエナのカテリーナと言われる聖人で、ジャンヌダルクに、“オルレアンの包囲を解いてフランスを救え”と言った聖カテリーナ(アレキサンドリアの聖カテリーナ)とは別の聖人です。イタリアでは、聖カテリーナは、若くして自らの純潔をキリストに捧げることを決めて修道女となり、禁欲生活を自らに強いて、病人や貧者を援助する事に人生をささげ、キリストと同じ歳(33歳)で亡くなった修道女と言われています。彼女の書き残した手紙は300以上も現存して、トスカーナ文学の傑作と言われています。

地獄に落とされた聖カテリーナの母親を、聖カテリーナが神にお願いして天国に引き上げようとした際に、しがみついて一緒に天国に上がろうとした人たちに母親が悪態をついたために、また一緒に地獄に落とされてしまいました。悲しんだ聖カテリーナは、自身が地獄に移って母親と一緒に暮したとの伝説があります。日本にも似たような話がありますね。日本の聖カタリナ大学はこの聖人に因んでいます。

話は反れますが、ジャンヌダルクに話しかけたアレキサンドリアの聖カテリーナを拝してイスラムの地エジプトのシナイ山に聖カテリーナ修道院があり世界遺産に登録されています。ここは、バチカンに次ぐ古キリスト教の資料が保存されているそうです。キリスト教の歴史の深さと奥の深さを感じます。

聖フランチェスコ

アッシジの聖フランチェスコと言われています。日本では、サンフランシスコと言う様に聖フランシスコと呼ばれています。聖フランチェスコはフランシスコ修道会(クララ女子修道会を設立したサンタ・クララは彼の弟子です)の創設者で、西洋人では珍しい自然と一体化した聖人です。太陽、月、風、水、火、空気と大地を「兄弟姉妹」としてキリストへの賛美に参加させ、最後は死までも「姉妹なる死」として迎えた聖人です。この思想が、映画「天使と悪魔」の水、火、空気、大地の発想の源なのでしょうか。

聖フランチェスコは、最初騎士になる事を目指しベルージャの戦いでは収牢され、そこで神の教えに目覚めます。貧者やハンセン氏病患者へ奉仕し、荒れ果てたアッシジの聖ダミアーノ聖堂の修復中に神の告知を受け、全財産を放棄して修道会を設立することで、残りの人生を神に捧げたと言われています。小鳥に向かってまで説教をしたとの伝説もあり、国や教派を超えて世界中のキリスト教徒から愛されています。

彼が設立したフランシスコ修道院は、ベネディクト修道院とは相容れないライバル同士です。世界遺産であるアッシジに聖フランチェスコ聖堂があり、そこの下部聖堂に遺体が納められているそうです。また、上部聖堂には「聖フランチェスコの生涯」と題するジョットの壁画があります。イタリア人は聖フランチェスコが好きなようで、彼の彫像がいろいろなところにあります。オルタ湖のサクロ・モンテは聖フランチェスコに捧げられていて、20の礼拝堂には彼の生涯の物語を描いています。

聖アンブロージョ(サンタンブロージョ)

ミラノの守護聖人の聖アンブロージョに関しては説明がちょっと長くなります。聖アンブロージョを知らなければミラノを語れないからです。

聖アンブロージョは、西方の4大教会博士(教会博士は全部で33人いるとのこと)の一人にも数えられています。聖アンブロージョは古代ミラノの司教としてだけでなく古代ミラノの主要人物であり、ミラノの父と言っても良い人物です。但し、このような宗教絡みの話はいつもオブラートに包まれていますので、ミラノの人が思い描いているのとは異なっているかもしれません。下記がその物語です。

聖アンブロージョは、紀元4世紀の半ばにローマ帝国の高官の息子として生まれ、ローマで法学を学び370年にミラノ(そのころミラノは西ローマ帝国の主要都市でした)の主席執政官に選出されている。374年にミラノ司教の死去に伴う後継者問題でアタナシウス派(キリストの三位一体を支持)とアリウス派(神とキリストを同一視しない)との抗争があり、人望のあるアンブロージョが乗り出し調停していたのだが、市民からアンブロージョ本人に次の司教になるよう要求を受けた。アンブロージョはキリスト教ではなかったが、その要求に沿うためにキリスト教を学び洗礼を受けて、直ぐにミラノ司教となった。

この日が374127日であり、今でもミラノの祝日となっている。374年にミラノ司教になってからは、三位一体論を支持してアリウス派への攻撃を開始した。この頃アリウス派は、テオドシウス一世(375年に即位)の前のローマ皇帝もアリウス派であったように非常に勢力が強かったが、聖アンブロージョはミラノからの駆逐に成功した。また、その後390年に、聖アンブロージョは民衆を虐殺したとしてローマ皇帝であるテオドシウス一世を8ヶ月間破門にして公開謝罪をさせている。

このように、聖アンブロージョは、4世紀後半にミラノではミラノ司祭として、ミラノで勢力のあったキリスト教をバックにして皇帝以上の力を保持していたようです。また、テオドシウス一世(大帝とも言う)の、ローマ宗教信仰の禁止及び古代オリンピックの廃止、他宗教の駆逐とキリスト教の国教化などの勅令は、皇帝に対する聖アンブロージョの影響が強く現れていたことが想像できます。テオドシウス一世が395年にミラノで亡くなったときに、聖アンブロージョは弔辞を述べてテオドシウス一世に賛辞を送っています。テオドシウス一世の死に際してローマ帝国は2つに分割され、西ローマ帝国の首都をミラノに定めました。聖アンブロージョは397年に亡くなるまでミラノ司祭を務めていました。

聖アンブロージョの命でミラノの城壁外に4つの聖堂(現存するのは、サンタンブロージョ聖堂、サン・シンプリチアーノ聖堂、サン・ナザーロ聖堂の3つ)が建てられています。また、ドゥオモの地下に眠るローマ時代の聖ジョバンニ・アッレ・フォンティ洗礼堂にも聖アンブロージョの足跡が残っています。

その他の聖人

他にも聖人は山ほどいます。あまりに多くてありがたみも感じなくなりますが、キリスト教徒には感じるのでしょうね。キリスト教徒は洗礼を受けると、これらの聖人の名前の一つをミドルネームとしてもらいます。でも、これだけ聖人の数があるので、ほとんどのイタリア人のFirst Nameは既にだれかの聖人の名前です。従って、イタリア人にはミドルネームはないと思います。ですから、イタリア人の名前を呼ぶと、パオロとかマルコとか、いつも聖人の名を呼んでいることになります。もちろん、名前の前には“サン”はつけません。日本語では名前の後に“さん”はつけますが。

聖人には、必ず、イタリア語では、サン、又はサンタを名前の前につけます。サンは男でサンタが女の聖人のようです。サン・フランチェスコは男で、サンタ・マリアが女です。サンドナートでは、サン・ドナートが男で、サンタ・バーバラが女です。でも、名前がアイウエオで始まる聖人は、男でもサンタがつきます。性格には最後のTに絡めて名前を入れています。サンタンブロージョ、サンテウストロジョ、サンタンドレアがそうです。では、女の聖人でアイウエオで始まったらどうなるのでしょうか。男の聖人と同じでした。サンタンナ(聖アンナ、聖母マリアの母親)のようになるだけです。


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